昭和41年02月13日 夜の御理解
今日十三日会の、まぁ信心の共励の中にでしたが、どんな事からだったでしょうか、今の椛目の人達が銘々、私の学院行きとそれから御造営と、そう言う様なあれやらこれやらの事柄を、まぁふんまえての椛目の方達の、一つの心構えというものが出来ておるようであって、実際形の上にこう現されていないと思うと。信心の上に現されていないと思うと。そこん所を銘々が、まぁ特に十三日会といえば、椛目の御用団体の中心であり、又信心の言うなら椛目で、最高の信心を頂こうとしておる人達の集いであり。
特に神様の願いが、この日ばかりは成就するという、昨日事のための信心の共励をしておる者としてはです。銘々の自覚が足りんのじゃないかと。けれどもその何とはなしに、私の学院行きとか、またはこの御造営と言った様な、その問題を持ってから、椛目全体の一つの動きから言うと、何とはなしに一つの銘々には、それは私はこう認められないんだけれど、何かこう撃って一丸になってからのことから思うと、一つの熱気というかね。そのそう言う様なものを何か感ずる。
特に最近ここで日曜なんかは、まやはり私がここを降りる時には、三百何十人かのお取次ぎをさせて頂く位にその何かですね。何かそのお広前から感じん訳にいけん様なですね、熱気がこう漂うておるような感じがするんです。それかと言うてほんなら今日の十三日会の顔ぶれ見てから、まぁあぁた達が特別ほんなら一遍参り所を二遍参るとか、特別の全部打ち込んでおると言う様なのは、無かろうがと私が言います。
それでいてです何とはなしに、椛目のお広前全体に一つの熱気を感じられるというのは、こりゃ神様が何とはなしにこう意気込んでござると。だから私共がここに一つ、そういう自覚を、神様のそうしたあの動きと働きと、私共もその働きというものが、その自覚が出来てその、おかげを頂けた時に、本当なことになるのじゃないだろうかと言った様な話をさせて頂いた事でございますね。
本当に今朝なんかはもう、朝の御祈念そしてもう、御祈念に引き続いて企画総代の方達の、現場での何か検討会がございました。それがこちらでは、今日は日曜で美登里会婦人総代さん方の御祈念、御造営成就の御祈念会というのがあっております。奉修委員の方達によってね。それからもう引き続いて少年少女部会の、今日は日曜たんべに、最近は御祈念会を致しております。
もうそれから引き続いて学生会、二回目の学生会の会合が熱心に、今日はたくさん集まっておられましたが、御祈念の後に共励を二階でなさっておられます。それからもうそれに前後してでしたかね、青年部の方達が、今日はあの席不在の現場に行かせて頂くための、今日は労力の奉仕があったね。もう次から次とそのお参りはもう、お広前が賑わっておるね。午後からはいわゆる今日の十三日会の方達が、沢山集まって熱心に信心共励をなさっておられると言うようにです。
もうその辺がですね。なんと申しましょうかね。もうこう賑わっておるけれども、こう衝突はせんと言った様なスムーズな中にです。そういう椛目あげての何かひとつの、本当にそこにじっと、お広前に座っているならですね。本当に何かてんやわんやのような感じなんです。勝手のほうでは婦人部の方達が、あのお昼のお弁当作りがあっておりますしですね。もう隅から隅までこういわゆる、活動体なんですよね。
そういう働きがございます。確かにその、ひとつの熱気を感じるのですね、お互いがそう言う様な、神様の一つのその働きの中に、私共もその自覚を持って、そのことにあたる。そう言う事にならせて頂く時に、私共もおかげを共々に頂くことが出来るんではないかと。いわゆる非常時の自覚なんですよね。椛目はもう本当に後にも先にもなかろうと思います。こういう非常時は。超非常時だと思いますね。ですからそういう自覚が銘々の上に出来てから、この提案をしたのじゃなかろうかと思う。
何とはなしに神様の働きそのものが、それはその働きを一日中の中に現して下さっているように思うのですね。今朝の御理解にも、お徳と言うのはですね。私共の信心がもう例えば、これで良いと言う事は、勿論信者並ですけれども、まぁ言うならつう一杯の信心を、今日はさせて頂いたと言う様な時でもです。もう今一息だと。もう一押しその中にもう必ず、神様は喜びを与えて下さる。本当に今日は十二分に、お使い回しを頂いて有難しというそれなんですね。
そういういわばお互い体験が出来て参りますとです。信心のそのもう一押しと言う事がです。まぁこんなに有難いものであると言う事を、お互いが体験させて頂かねばならんね。言わばとんおの仕事が出来たから、そら十分であるけれども後十二分と言うもう一押しの所がです。いわば徳になるのだと。あぁこれからまぁこれだけ、まぁいっちょせんならんというのではなくてです。そのもう一押しの所に、一つの元気な心と言うか、また神様に打ち向かう特別の、まぁ異常なまでの喜びというのが頂けれるんだと。
だからもう一押しと言う中には、喜びが照り返って来る様な一押しでなからなければ、勿論ならないと言う訳なんですね。今日は皆さん青年部の方達が、そうした一日御用を頂かれてそしてから又帰られてから、今まで会合があったんですね。ですからもう疲れた上に、又いろんな会合の為に、もうそれこそ心も身体も、いわば疲れておるというのですから。成程御祈念頂かずにもうあのたらい回しても、それで十分なのである。
けれども私が今日はもう一息と、もう一息もう一押しともう一押しと言うところを、一つ皆さんに、今日、実行してもらうために、私が引き止めたんです。と言うのもです、私皆さんが二階から降りてみえた。私は御祈念を仕えようと思うて、ここへ着いた。そしてその、皆さんの手のことをお礼申させて頂きよりましたら、頂くことがですね。あの神愛会の大きな、あのテントじゃないですけれども、やっぱ神愛会と書いてある大きなテントなんですね。
いわゆる椛目全体が入るような、大きなテントなんです。それこう張ってあるんですけれどね。その言うならこうあれに柱がこう、沢山立ってるでしょう。その柱がこう立ってるんですけれども。その四隅と言うんですか、あの四隅にずうっと、こう繋がって立ってるんです。あの綱がねまぁだこう緩んでおる。だから四方から綱をしゃんと引っ張れば、このテントがしゃんとなると、言った様な感じのところを頂いたんです。ですから皆さんが疲れておられるけれどもです。
ここはもうこれは皆さんのためではなく、椛目全体のための、最後の締めくくりのためにです。しゃんとした信心が必要だと思うたから、まぁ御祈念頂いて、皆さん帰りなさいというて、今日はまぁ申しましたような訳でございましたけれどもですね。ですから恐らく皆さんの自発的に、もう一押しと言うものがないから、喜びは与えられなかったかも知れませんね。けれども椛目全体の、今日一日の締めくくりの言う意味合いにおいてはです。これでしゃんとしたものが、頂けたという事なんですね。
一人助からなくっても、団体の助かりの、最後の締めくくりは出来たと言う事になるんです。これがもしです。いいや私は皆さんが例えば帰っても、私は御祈念を頂いてから、そして帰らせていただこう。もう一押しそういうところにです。はぁ最後の御祈念を頂いて帰って良かったという喜びが頂けれるようなところまで、これはお互いの信心を進めていかなければなりませんけれどもです。これが一つの団体の動きと言うものがです、最後の締め括りというか最後の一押しがです。
私共銘々の事ではなくて、椛目全体のまた今日一日の締め括りが出来ると言う事になれば、私は有難いことだとこう思うのですよね。だから皆さん今晩の御祈念に、またちょうど一時間ばかり、伸びたわけでございますけれども、それがいわば折角テントを張るために、こう柱も立ったとね。最後の綱をこう四隅から引き締めたと。これでテントは綺麗に立ち上がったと言う様な感じですね。そういう意味で、今日皆さんに御祈念に残ってもらいました。おかげ頂きました。お疲れでした。
どうぞよろしく。